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人事評価制度の根本、結果は全て自分のおかげ?

2022-01-28

人事評価制度の根本、結果は全て自分のおかげ?

今の結果は自分のおかげか?

本日はこれまでのコラムとは少しテイストを変えて、最近読んだ本について書きたい。
昨年末にマイケル・サンデルの「実力も運のうち:能力主義は正義か?」という本を読んだ。マイケル・サンデルといえば私が大学生の時に、ハーバード白熱教室で一世を風靡し、「これからの『正義』の話をしよう」という書籍で話題になった政治哲学の第一人者である。非常に面白い本なのでお読みになられていない方は是非手に取っていただきたいと思う。この本では(本のタイトルを見れば察しがつくが)「能力主義は間違っている」ということが論じられている。もう少しかみ砕いて言うと、一般的に信じられている“自分の収入や社会的地位は自分が努力して能力を高めたからで、個人の努力の結果を評価する能力主義は平等だ”という主張に対する批判である。
ただし、サンデルが提起するまでも無く、今の世の中は必ずしも「平等な競争」になっていない、という点は広く知られている。例えば日本でも、大学の医学部の入試において多浪生や女性が不利になるような配点をされていたという点や、東大生の親の平均所得は日本の平均所得をはるかに超えていて経済格差が子供の学力にも影響している、というようなことが度々話題になる。
一方で、サンデルが批判しているのは「不平等な競争に基づく能力主義」ではなく、「能力主義」そのものである。主張の詳細は本書をご覧いただければと思うが、能力は努力して高められる面もあるが、生まれながらに獲得しているものも大きいし、自分の持つ能力が社会で評価される能力か否かは完全に運である、と言っている。また、能力主義に基づく勝者と敗者(成功と失敗)は、成功者は「自分が努力したからで敗者は努力不足だ」と驕りを抱き、(無意識に)敗者を侮辱しており、社会の分断が進む、とも言っている。確かに、と思うことが多い。

自己責任と社会責任の違い

能力主義の是非についてはいろいろな人が取り上げ、たびたび話題になる。先日、元陸上選手の為末さんも、自己責任(今この人生を生きているのは自分のおかげだし、自分のせい)と社会責任(今この人生を生きているのは社会のおかげだし、社会のせい)という考え方の違いについて語っていた。為末さんは、「自己責任が行き過ぎた世界では格差が広がり、社会責任が行き過ぎた世界では甘えと諦めが広がる」と言っている。サンデルが為末さんのいう自己責任の考え方(=能力主義)を批判している一方で、為末さんは、「自己責任論と社会責任の考え方も、どちらか一方ではなく当然グラデーションがあり、どこに適用させるかが違う。例えば自己責任論を生活保護などに向けることはとても危険だが、一方で子供の教育を社会責任で捉えすぎると自立の機会が失われる。」というような主張をしていて、サンデルよりは現実的な気がする。白黒つけない日本人的な発想で受け入れやすい。

社員の評価にどう落とし込むか?

さて、ここまで小難しい話を書いていたが、自己責任と社会責任のバランスは会社の評価制度にも影響を与えているはずだ。例えば自己責任的な考え方(実績はその人の頑張り次第)が強ければ、仕事の結果に基づく「業績主義」的な人事評価制度を採用するだろうし、一方で社会責任的な考え方(実績は外部環境にも左右される)が強ければ、結果ではなく過程も評価する「プロセス評価」や、結果ではなくその人の人柄を評価する360度評価なども重視されるかもしれない。最近では(数年前からだが)社員個々人の実績で相対的なランク付けをやめたノーレーティングという考え方も欧米企業中心に広まっている。最も有名なのは、かつて9ブロックという社員の評価制度を掲げ、優れた評価手法だと称賛されていたGEが、9ブロックを廃止した事例ではないだろうか。この辺りの評価制度の詳細についてはまた別の機会にするが、どんな評価制度でも結局はその会社が根本的に何を重視しているかによる、という当たり前のことが実は忘れられやすい。仮に今、会社での評価が高くなくとも、深刻に考えすぎることはないのではないだろうか。今の世の中多様な会社・多様な働き方があるので、合わなければ転職すればよい、というくらいの考え方が精神衛生上は良いのかもしれない。ただし、行き過ぎた社会責任がもたらす甘えには注意が必要であり、結局は部下の精神状態を見極めつつも、甘えに陥らないようにコントロールしていく、ということが大事なようだ。

MAVIS PARTNERS マネージャー 渡邊悠太

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