3.マネージャー
印刷シニア消費者から学ぶ「常識のズレ」
2026-02-27

商業施設のレジ前で感じた違和感
先日、とある商業施設内の和食店で会計待ちの列に並んでいたところ、やたらと時間がかかった。体感で5分くらいは待ったと思う。レジに立っていたのは、おそらく入ったばかりの学生アルバイトで、レジ操作にも接客にもまだ慣れていない様子である。これ自体はよくある光景だが、よく見ていると、実は「客側」にも待ち時間を長くしている要因があることに気づいた。
列に並んでいるのは、60代以上とおぼしき女性客が目立つ。その多くが現金払いであり、財布から小銭を探し、お釣りを受け取るやり取りにどうしても時間がかかる。さらに驚いたのは、その飲食店が入っている商業施設のポイントカード(クレジット機能付き)がレジ横に大きく掲示されており、実際に多くの人がポイントカードを提示しているにもかかわらず、支払いそのものは現金で行っているという事実である。
「ポイントはカードで貯めるが、支払いは現金」。そこまでして現金で払いたいのか、と内心少し唖然とした。すべてのシニアがそうだとはもちろん思わない。私の祖母は80代半ばだが、デビットカードを普通に使っている。しかし、日常で高齢の方と決済シーンについてじっくり話す機会は多くないので、このレジ前の光景は自分にとってなかなかの衝撃であった。
データで知っていたことが、目の前で立体化した
コンサルタントとして、飲食や小売といったBtoCビジネスの企業と接する際、「キャッシュレス促進」はよく議題に上るテーマである。その中で必ず出てくるのが、「完全キャッシュレスにするとシニア層を中心に客離れが心配だ」という懸念である。
正直に言うと、これまではその言葉に心から共感しきれていなかった。流石に今の時代、キャッシュレスの決済手段を一つも持っていない人は、シニア層の中でもかなり少数派なのではないか、とどこかで思っていたからである。
一方で、マクロの統計を見ると、日本のキャッシュレス比率は諸外国に比べて依然として低い。経済産業省によれば、個人消費に占めるキャッシュレス決済の比率は2023年時点で39.3%*1、2024年には42.8%とようやく4割を超えた程度*2である。 これに対し、中国は約8割、韓国は9割、米英でも5割超*3とされ、日本は「キャッシュレス後進国」と位置づけられている。
この遅れの要因として、高齢化が進んでいることや、現金への信頼が根強いことを指摘する論考は数多い。 頭では「そういうものだ」と理解していたつもりだったが、正直、日常生活の肌感覚としてはそこまでのギャップを感じていなかった。そこに、あのレジ前の経験が加わり、統計上の数字が急に立体感をもって迫ってきた、という感覚がある。
「持っていない」のではなく「使いたくない」という心理
あの和食店で列に並んでいた人たちを見ていて感じたのは、「この人たちは決済手段としてのカードやスマホを“持っていない”のではなく、“持っていてもあえて使わない”のではないか」ということだった。実際、ポイントカード(クレジット機能付き)だけはしっかり提示しているのだから、「カードそのものが怖い」というわけでもないだろう。
この「使わない心理」については、シニア層を対象とした調査でもかなりはっきりと示されている。野村総合研究所がシニア世代のデジタル化に関する意識・行動を調べたレポートでは、高齢者の支払い手段として依然として現金が主流であり、「ほとんどキャッシュレスにして現金は使わない」「現金よりキャッシュレスの頻度が高い」という層は全体の2〜3割にとどまる一方、「現金の利用頻度が高い」「利用するつもりはない」といった層が約7割を占めているとされる*4。
さらに、キャッシュレス決済を利用しない理由として、「現金が一番信用できる」「使いすぎてしまいそうで不安」「個人情報の漏洩が怖い」といった回答が多く挙げられている*5。 つまり、「手段がないから使えない」というより、「論理的には便利だとわかっていても、感情として現金の方が安心できる」という心理が強く働いているのである。
レジ前で目にした「ポイントだけカードで貯めて、支払いは現金」という行動は、まさにこの心理の表れだと感じた。論文や調査レポートを読んでいるだけでは、ここまでの実感を持つことは難しい。自分の目で、身体で、「ああ、たしかにこれは強い」と納得する経験があって初めて、数字の裏にある人間の感情が腑に落ちる。
物理的に「世界を増やす」ことの意味
今回の体験を通じて改めて感じたのは、自分の常識は文字やデータだけでなく、実体験によってこそアップデートされる、という当たり前の事実である。
コンサルタントとして、私はこれまでにも「キャッシュレス化とシニア層の客離れ」という論点を議論したことはあった。しかし、どこかで「いや、そんなに影響は大きくないのでは」と思いながら話を聞いていた部分があったと思う。ところが、商業施設の一角で、現金での支払いにこだわる人たちの行列を目の当たりにすると、「完全キャッシュレスにするなら、ここをどうケアするかを本気で設計しないといけないな」と、急に腹落ちする。
こうした「自分の常識のズレ」に気づくには、定期的に物理的に新しい環境に身を置くことが必要だと感じる。普段行かない店に行く、いつもと違う時間帯に街を歩いてみる、自分の生活圏とは少し属性の違う場所で過ごしてみる。そうした小さな移動の積み重ねによって、見える世界が少しずつ更新されていく。
それは教養というと少し大げさかもしれないが、自分の発言や提案ににじみ出る「重み」を変えてくれるように思う。統計や論文を読み込むことはもちろん重要だが、それだけでは届かない層に、人の行動や感情がある。現場での小さな違和感を大事にし、それをきっかけに自分の前提を問い直していくこと。
今回のレジ前の5分間は、自分にとって、そうした「常識のアップデート」のきっかけになった時間であった。
MAVIS PARTNERS マネージャー 井田倫宏
1:経済産業省「2023年のキャッシュレス決済比率を算出しました」(https://www.meti.go.jp/press/2023/03/20240329006/20240329006.html)
2:Reuters「Japan’s shift to cashless society prods BOJ call for payment innovation」(https://www.reuters.com/world/china/japans-shift-cashless-society-prods-boj-call-payment-innovation-2025-06-11/)
3:在日フランス商工会議所「Nearly 40% of payments in Japan are now cashless」(https://www.ccifj.or.jp/en/publications/news/news-detail/news/nearly-40-of-payments-in-japan-are-now-cashless.html)
4:NRI社会情報システム「シニア世代のデジタル活動~社会のデジタル化に対する高齢者の期待は二極化の様相~」(https://www.nri-social.co.jp/sirniors/column/column_12/)
5:NIR社会情報システム「アンケート調査報告 シニア世代のデジタル化に関する意識・行動と課題~「高齢化」と「デジタル化」が共存する日本のデジタルデバイドの現在地」(https://www.nri.com/content/900032347.pdf)








