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理解とは、線を引き、名前をつけることである。

2025-10-10

理解とは、線を引き、名前をつけることである。

良い戦略は理解から始まる

良い戦略は、自社を取り巻く状況を理解することから始まる。市場の構造、顧客の変化、競合の動き──どれほど優れたビジョンを掲げても、現実を正しく理解できなければ戦略は的を外す。だからこそ、経営の現場では「状況をわかっているか」「課題をわかっているか」が問われる。
このことは、国家レベルでも同じである。現代のほとんどの国が情報機関を持つのは、正確な情報を得ずに情勢を理解しないままでは、的確な戦略を立てられないからである。情報を制することは、状況を理解し、先を読む力を得ることに直結する。
しかし、この「わかる」という言葉の意味を、どれほど深く考えたことがあるだろうか。
「わかる」とは、単に知識を持つことでも、情報を集めることでもない。なぜなら、情報をどれだけ集めても「整理されていない世界」は混沌としたままであり、むしろ情報が増えるほどに人間の脳では理解しがたくなり、的を得た意思決定を難しくする。
では、人はどのようにして「わかる」ようになるのか。

「分かる」は「分ける」から生まれた

「分かる」という言葉は、古語の「分く(わく)」に由来する。
「分く」とは「区別する」という意味を持つ動詞であり、もともとの「区別する」という意味から「理解する」という意味に転じたという。つまり、混ざり合ったものを切り分け、筋道を見いだす行為そのものを「分かる」と言ったのである。
この語源に立ち返ると、理解とは情報を増やすことではなく、むしろ“混沌を整理して秩序を見いだすこと”だと分かる。何かを「分かる」瞬間というのは、バラバラに見えていた要素が一つの構造として結びつき、どこが違い、どこが同じかを線で結べたときである。
つまり、「わかる」とは“線を引く力”であり、世界を見通すための切り口を発見することに他ならない。理解とは加算ではなく、構造化という名の減算であるとも言える。
例えば、ある著名な夜の帝王は世界の人口80億人を「俺か、俺以外か」という二種類に線引きをして構造化した。80億通りの人間の見方が、凝縮して2通りになり、理解がしやすくなったわけである。

言葉は世界を切り分ける

以前、著書を拝読したことがあるが、心理学者の今井むつみ氏は「言葉は世界を切り分ける」と述べている。人は生まれながらに世界を“そのまま”認識しているわけではない。言葉を通して、どこで線を引き、何を一つのまとまりと見なすかを学んでいく。
例えば、日本語や英語ではBlue、Green、Red、Yellow…と複数の色が明確に区別されるが、パプアニューギニアのダニ族の言葉では色の名前が二つしかないそうだ。言葉が違えば、色の境界線の引き方も違う。つまり、言語は単なるラベルではなく、私たちが世界を切り分けるための“見取り図”なのである。
言葉を持つことは、世界を分けて理解する力を持つことと同義である。そして、名前を与えるという行為は、分けた世界を他者と共有するための知的な仕組みである。
「分かる」とは、線を引き、名前をつけ、世界の秩序を他者と共有できるようになること——この視点に立つと、「理解」という行為の輪郭がよりはっきり見えてくる。

戦略もまた、線を引き、名を与える営みである

経営戦略もまた、世界に線を引く知的な営みであると言える。
市場をどう分けるか。どの顧客を選ぶか。何をあえてやらないか。すべては「どこに境界を引くか」という意思の表明である。優れた戦略家は、曖昧な現実に明確な線を引き、混沌とした状況を構造として描き出すことができるはずである。そして、その線に「意味のある名前」を与える——それがポジショニングやブランドの定義である。
たとえば「無印良品」は“ノーブランド”という名を掲げて新しい市場を定義した。つまり、線を引き直し、名前を与え直すことで世界の見え方を変えたのである。

繰り返しになるが、「理解」とは、「線を引き、名前をつけること」である。過去の戦略家はこのように線を引き、名前をつけることで経営者が意思決定のよりどころとする見取り図を作ってきた。この線引きの巧拙が、組織の明日を決めるのかもしれない。

MAVIS PARTNERS アソシエイト 松村寿明

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