1.アナリスト

印刷

質問に答える

2024-10-11

質問に答える

珍しくかみ合った、党首討論

第102代内閣総理大臣に石破茂衆議院議員が就任した。就任直後、歴代最短での衆議院の解散に彼は踏み切ったが、解散の間際、国会で党首討論が行われた。その軍配は来る10月17日の第50回衆議院議員総選挙において国民が下すのであろうが、私にはこの党首討論が珍しく感じた。「話がかみ合っていた」のである。野党各党の党首は首相に厳しく質問するが、その内容はともかく、石破首相はちゃんと答えていたのだ。主観だが、近年の国会は首相、閣僚、官僚が重要な政策やスキャンダルに対する追及に対して、かなりかみ合っていない答弁を繰り返していた。「個別の事案にはお答えできない」、「仮定の質問には回答しかねる」、「管掌外である」…「記憶にございません」というフレーズは映画にもなった 。
政治家は言を弄し、質疑をはぐらかす、という認識が世間に膾炙するなかで、石破首相は厳しい質問もはぐらかさずに回答しているように見えた。

質問に応えられている、か?

そんな党首討論を見ながら、コンサルタントとしての仕事で時折「質問に答えられていない」というフィードバックを受けることを思い出した。コンサルタントの仕事では(少なくともMAVIS)では、クライアントの経営課題に対し、仮説や論点を設定して、それをファクトとロジックで検証してゆき解決策を見出して行く。その過程で多分に社内やクライアントと議論をするのだが、質問に答えられておらず、「脱線していない?」と時折指摘されるのだ。
もともと、話し好きで好奇心が強いほうだと思うので、話過ぎたり過言だったりすることもあろうが、改めてなぜなのかを考えたとき、2つ理由があることに気が付いた。
1つは、質問されているものの構造が理解できていないとき。事前のリサーチが甘くて前提知識が不足している、議論についていけていないという理由で質問されているものの構造あるいは質問自体が理解できていないと自ずと質問に答えられない。
2つ目は、質問に対する答えを何らかの理由で提供できないとき。答えはわかっているものの、相手への配慮や自分の都合、自らの組織を守るため、などの理由で答えられないというものである。私が主催する飲み会の参加人数が芳しくないとき、ただでさえ重苦しい雰囲気の中で「なぜ人数が少ないの?」と質問しても、「私の不人気」という答えは誰も言えないだろう。

1つ目の構造が理解できないというのは、努力不足なので頑張ってくださいで済むかもしれないが、2つ目は厄介だ“。飲み会の不参加の真相”はまだかわいいが、場合によっては“墓場まで持っていく”案件となると真相解明もできず、時には法外な手段を取る人すら出てくる。そこまで行くと大事だが、“組織を守るため”、“誰々からの指示・意向”が原因で質問に応えたくても答えられなかった、という人経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。

ストレートに話すことの難しさ

一国の大臣ともなれば、一門の人物である。多くの優秀な官僚も側に控える。およそ、1つめの理解不足というよりも、2つめのなんらかの事情をおもんばかって答えられない、はぐらかすということが多そうだ。あるいは質問する側の議員も、相手が答えられないことはわかっていて、パフォーマンスのための質問をしているケースもあると聞く。そうして様々な思惑が交錯し、本質的な解決はどこかに忘れ去られてしまう。

恥ずかしながら、私も隣接した業界にいたがゆえに、質問対応能力とはいかに相手の質問に答えているようで答えない言語の運用能力だと考えている節があったが、これではその場しのぎに言葉が霧消し、本質的な解決から遠のいてしまうだけである。あるいはコンサルタントの仕事がファクトとロジックで課題解決に迫るとこだとすれば、質問にストレートに答えることができる、ということ自体がコンサルタント業の面白さかもしれない。あるいはそれ自体がコンサルタントへの依頼価値にもなりえるのだろう。

政治は質問に答えられず、大企業には“大企業病”なる病が蔓延し、ホンネとタテマエが乖離しているのが今日の世相に思う。ストレートに話すことが難しい時代にあるからこそその価値がまして重要になっていると、珍しく“かみ合った”国会の論戦に思った。

MAVIS PARTNERS アナリスト 為国智博

Contact

お気軽にお問い合わせください

お問い合わせフォーム