1.アナリスト
印刷「好きに生きる」=「嫌なことをしなくてもよい」?
2025-08-08

「好きに生きる」だけで成長できるのか?
我が家には4歳の息子がいる。子どもが産まれる前は、「親として子どもには好きなことを伸び伸びとやってほしい、そして自分はその手助けがしたい」、そのように思っていた。しかし子どもが産まれて早4年の月日が経ち、これだけでは子どものためにはならないぞ、と思うようになった。「好きに生きなさい」という言葉は、「嫌なことはしなくていい」という安易な言葉を意味するものではないと気づかされたからだ。マクロな視点でこの事象を見ると昨今の世の中では、多様な価値観が尊重されることで、「やりたいことだけやる」という表面的な解釈が広がりがちである。しかし、長いスパンで物事を捉えた場合には、必ずしも「好きなこと」ばかりをやり続けて成長できるわけではない。むしろ、苦手や不得手だと感じることに向き合い、それを乗り越える過程でこそ、人は成長していくのではないかと、自らの人生を振り返ってそのように思う。
「好きに生きる」とは?
「好きに生きる」とは、自分自身に耳を傾け、周りに流されることなく、自分の人生の方向性を自分で定めるということである。それは、流行や他人の評価に囚われず、自分が本当に大切にしたいことは何か、どのような人間になりたいのかを深く探求する旅でもある。また、「好きに生きる」とは、決してわがままに他者を傷つけてもいいという利己的なことを意味しない。時には、周囲の理解を得られず孤独を感じたり、自らの選択が間違っていたのではないかと後悔したりすることもあるかもしれない。しかし、それらの困難もまた、人生の貴重な一部として受け入れ、前に進む勇気を持つことが、「好きに生きる」という言葉が求める真の姿である。自分の選択に責任を持つことは、失敗を他者のせいにしない強さであり、成功を自らの手で掴み取る喜びでもある。
好きな人とだけ一緒に生きる?
また、「好きに生きる」とは、社会とのつながりを断ち切ることではない。私たちは、他者との関係性の中で生きる存在である。人間関係において、嫌だと感じる人との関わりをすべて断ち切れば、多様な価値観に触れる機会を失い、自らの視野を狭めてしまうだろうが、私はこの事象が昔よりも顕著になっていると考えている。かつての世の中は学校や地域コミュニティなど、生まれながらにして与えられるつながりがあり、これらは自分にとって「いい人」ばかりでは決してなかったため、人間関係においてストレスを感じることも少なくなかったはずである。しかし昨今ではSNSの普及により、自分にとって「いい人」だけが集うコミュニティを築くことが容易になってしまった。インターネットの世界で現実社会が代替可能となり、それと同時に人間関係も代替してしまっている人が少なからず存在しているのではないか。様々な価値観を持つ人々が集うコミュニティに触れ続けることが、逆説的に「好きに生きる」ことを可能にするのかもしれない。
人生を豊かにするための「不自由さ」
「嫌なことはしなくていい」という単純な自由は、一見魅力的だが、それは成長の機会を奪い、最終的には選択肢を狭めてしまう可能性がある。「不自由さ」を積極的に受け入れ、それを自らの成長の糧とすることも、結果的には人生を豊かにする一つの選択肢である。「好きに生きる」ためには、楽なほうへと流されるのではなく、嫌なこと、辛いこと、面倒なことを行うことも重要であるのだ。自分の人生を自分の意志で、自由に生きるためには、この「不自由さ」を乗り越える勇気と、自らの選択に責任を持つ覚悟が不可欠である。そのようなことを考えながら、親として子どもがすくすくと成長していけるように見守りつつ、自分も一人の社会人として成長の機会を逃さぬように過ごしていきたい。
MAVIS PARTNERS アナリスト 大橋建太