1.アナリスト
印刷幸福のポートフォリオマネジメントという考え方
2024-04-26
人生の目的は何か
「人は何のために生まれてきたのか」という深遠な問いを誰しも一度は考えたことがあるだろう。この種の問いに答えを与えてくれる教科書はほとんど存在しないが、宗教の中には「人はXXのために生まれてきたので、〇〇をしなければならない」という考え方を示してくれるものもある。第三者によって与えられた使命・役割は、厳しい環境の中で追い詰められた人々の精神的な拠り所として役立つ場合も多いのだろう。とはいえ、キリスト教や仏教など主要な宗教が生まれた時代と比べると、現代では耐えがたいほどの苦難を経験することは少ないため、神や仏といった存在に自身を導いてもらう必要性は薄れてきているかもしれない。現代日本に住み、安全で不自由ない人生を送ることができる私たちは、自らの欲求に正直に従って、それらを満たすことができる。ここで言う欲求とは出世欲、自己顕示欲、知識欲、愛されたい欲求といったものである。これらの欲求を満たし、自己の幸福を最大化することが現代人の生きる目的であるとしてもよいではないだろうか。自分の利益のためでなく、人のために人生を懸けている人もいるではないかと反論を受けるかもしれないが、ここでは「他人を助けたい欲求」を満たして自己の幸福を追求していると解釈したい。私自身も自分のための仕事よりも他人のための仕事の方がやる気が倍増する。つまり、利他的なことをすると得られる幸福度が高いのだ。
自らの幸福の源泉を把握しているか?
さて、「幸福の最大化」という目的は同じだったとしても、どんな事象から幸福を感じるかという「幸福の源泉」は人それぞれではないだろうか。自らの育った家庭環境や若い頃に読んだ書籍、憧れの人物など様々なきっかけにより人それぞれの「幸福の源泉」が形作られるのだ。しかし、何が自らの幸福の源泉なのかをしっかり把握した上で人生設計に反映することは意外と難しいことなのかもしれない。他人からの見え方を気にして、自分の欲求に従わず、社会のレールに乗っかる選択をしてしまう場合もあるだろうし、大して幸福を生まない事象を幸福の源泉だと思い込み、いつまでも執着してしまう場合もあるだろう。そもそも自分が何に対して幸福を感じるか大人になってもよく理解していない場合もあるかもしれない。そんな人は限りあるリソース(時間やお金)を幸福に直結しないことに無駄遣いしてしまい、満足できない人生を消費するはめになってしまうのではないだろうか。
幸福のポートフォリオマネジメントという考え方
「幸福の最大化」には制約条件がある。時間やお金といったリソースが有限である以上、「幸福の源泉」の全てを100%追求することはできない。例えば、仕事は自己実現の手段の一つであり、仕事で結果を出せば大きな満足感を得ることができる。そして仕事で結果を出すには、単に仕事に使う時間を増やせばいいだけなのだが問題はそう簡単ではない。仕事に使う時間を増やしすぎれば他の要素、例えば家族に使える時間は少なくなっていく。家族が与えてくれる幸福は説明するまでもなく大きい。また、家族も仕事同様に費やす時間の量によって、返ってくるアウトプットの内容も変わってくる。家庭をないがしろにした父親に対して、いつまでも家族が温かい愛情を与えてくれるとは思わない方がいい。では、極端な話、家族から得られる幸福をあきらめて、仕事の成功から得られる幸福だけにフルベットするのが最も幸福の最大化に繋がるのだろうか。そんな考え方の人もいるかもしれない。個人的には、投資の世界で使われる「ポートフォリオマネジメント」と同じような考え方がリソースの配分の考え方として多少参考にできるのではないかと思う。「幸福の源泉」のポートフォリオを組み、お金や時間といった有限のリソースの分配を意識的に行い、リターン(=幸福)を最大化していくと考えれば、案外似たようなものなのかもしれない。もちろん、そこまで合理的に白黒つけられるものでもないだろうが。
MAVIS PARTNERS アナリスト 松村寿明