4.プリンシパル

印刷

「最後の日」は避けられない

2024-04-12

「最後の日」は避けられない

体調管理しているはずが…

去年から、やたらと体調を崩すことが多い。社会人になってから、「平日に風邪をひくことは悪だ!」と強く信じていたぐらいなので、日頃から手洗いうがいは徹底しているし、定期的に整体には行くし、毎日自分でツボ押しをしているし、ストレスが溜まってきたらパーっと好きなものを食べたり、家族旅行に行ったり、心身を壊さないように、こまめにセルフメンテナンスはしている方だと思う。
それでも近年、体調を崩すようになった。9割9分、子供から風邪をもらったり、変なウィルスをもらったり、基本的に家庭内感染なので、子供とわちゃわちゃ接している限りは仕方ない部分もあるかもしれないが、そうは言っても、身体の免疫?抵抗力?が弱くなっているのかなと思う。こうも頻繁に体調を崩すなんて、さすがに年齢を感じずにはいられない…(或いは厄年だから?)
最近は、アデノウィルスというものに感染してしまった。これも子供から感染してしまったのだが、目は真っ赤になって結膜炎になるし、断続的な高熱と、咽頭痛と、激しい咳込みに1週間ぐらい悩まされた。子供は数日で完全回復して、なんのことやらへっちゃらな顔をしているが、感染した大人はしばらく苦しい。完治するまで4-5種類の薬を毎日飲んで、薬漬け状態だった。

いつかくる「最後の日」

そんな辛い期間中、布団でうなされながら、「あれ、自分っていつまで元気に仕事が続けられるのかな」なんてことを考えてしまった。寿命がある限り、「最後の仕事の日」も必ずくるわけで、「最後にクライアントと議論する日」、「最後に出張する日」、「最後にプロジェクトキックオフする日」、「最後に最終報告する日」なんてものが確実にあるのだ。
そう思うと、いつ最後になってもおかしくないような気がしてしまって、目の前の仕事がやたらと希少性を帯びてくる。考えようによっては、「最後の日」はいつ来てもおかしくない。今のプロジェクトメンバーと一緒に働く日はもうないかもしれないし、今のクライアントと議論する日もないかもしれない。もしかしたら、このプロジェクトが最後の依頼かもしれない。
プライベートでもそうだ。「最後の日」はいつの間にか過ぎてしまっている。例えば、最後に息子の髪を洗ってあげた日を覚えていない。いつの間にか自分で洗えるようになり、自分で洗うことが当たり前になってしまった。息子が抱っこをせがむこともほとんどなくなったので、「最後に抱っこをした日」というのもそのうち来るのだろう。「家族4人で川の字で寝る最後の日」も来てしまう。

一期一会に共感するとは

忙しいと目の前のことに対応することに必死で、それが最後なのかどうかも考える暇もない。ルーティンなことなら尚更。毎回同じようなことをやっていて、面倒くさいなとか、早く終わらせたいななんて思うが、気づいたら「最後の日」が過ぎている。そして、もしかしたら気づいていないだけで、今日が「最後の日」だった何かがあるかもしれない。
齢40になり、人生の折り返し地点に立つと、そんなことを考えるようになってしまった。今まで、ほとんど後ろを見ずに生きてきたのか、ふと振り返ってみると、「最後の日」があちこちに散らばっている。これからは、「今目の前にあるもの、これから出くわすもの、もしかしたら関わることも最後かもしれない」。そういう思いで日々を過ごさねば、後悔が残ってしまうかもしれない。
若い頃から、「一期一会だと思って…」とか言う人は信用できなかった。人にすり寄るための大義名分として「一期一会」を使っている気がして気持ち悪さを感じてしまっていた。でも、今なら「一期一会」の意味がなんとなくわかるような気がする。人に対して事柄に対しても一期一会の精神でいることは、本気で生きることであり、人生を豊かにさせるのかもしれない。気持ち悪くてすみません。

MAVIS PARTNERS プリンシパル 田中大貴

Contact

お気軽にお問い合わせください

お問い合わせフォーム