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無駄に飛び込もうよ

2023-05-12

無駄に飛び込もうよ

タイパという概念

最近、タイパという概念があるらしい。タイパは、「タイムパフォーマンス」のことで、「時間対効果」を意味しているとのこと。コスパが「費用対効果」なので、その「費用」を「時間」に置き換えたということだろう。かけた時間に対して、どれぐらいの効果があったのか。確かに大事な観点ではある。時間あたりのコストを考えざる負えない仕事をしている身としては、もとから“コスト”に時間的要素が入っているので、そこまで違和感のない概念だけども、改めて“時間対効果”と言われると、うーん…という気もしてくる。

自分は、決して、タイパで考えることを全面否定しているわけではないし、時間勝負の仕事の中ではとても重要な観点だとは思う。でも、それを人生の中で使い過ぎると、あんまり面白みのある人生には繋がらないんじゃないかなと思ったりする。というのも、私は若い頃、ずっとタイパ的な考えで生きてきたタイプだったから。あのまま同じような考えで生きていたら、どうなっただろうなと思うと、無難に今よりもっと小さく収まっていたような気がしてならない。だから、あんまりタイパタイパ言うのはオススメしない。実体験として。

思えばタイパ重視だった小僧

10代の半ばから終わりにかけて、「誰にも迷惑かけずに好きなことやれて生きられたらいい」という何とも刹那的で無責任な考えをしていた。だから、好きなことにはいくら時間を使っても良くて、一方で、気が乗らないことは、今で言うタイパ重視な考え。「好きでもないことに何で一生懸命にならなきゃいけないの。必要な範囲で最小限の努力で乗り切ればいいでしょう?」という考え。人から指示されるのがすごく苦手だし、無自覚的に既定路線を走ることがなんか怖くて仕方なかったので、変な反発があったんだと思う。

高校に入ると、いよいよ、そんな感覚が深刻化して、高校卒業する頃には、自分の存在意義がよく分からなくて、「自分は他の人とは違うんだ」なんて思って、進学せずに、ふらふらと色々なバイトに手を出す始末。でも結局、やっぱり大学に行こうと思い立ち、超タイパ的な考えで、教科を最小限に絞り、何とかギリギリ乗り切った。志望校の決め方も、ここなら将来就職で困らないかなぐらいの打算思考。そして、そういう考えが、大人で賢いんだとも思っていた。自分の好きなこと以外に時間をかける意味がわからなかった。

好きなことがなくなった時、何もなくなり

そんな自分の価値観がはっきり変わったタイミングを知っている。それは20歳の時。思いも寄らない事故に巻き込まれ、大怪我をしてしまう。自分の唯一好きだったことも出来なくなり、これまで好きなように時間を使えていた対象がなくなった。それに時間を使えば使うほど、苦痛に感じてしまい、好きなことが消えてしまった。そして残ったのは、自分がタイパ重視で取り組んできた中途半端な結果達だけ。なんと自分はつまらない人間なんだろう、生きてきた証がない…なんて、また自分の存在意義がわからなくなってしまった。

そこから考え方を180度変えた。それまでは、将来の職業なんて全く考えてもなかったけど、ちゃんと考えるようにした。どういう仕事なら心からやりたいと思えるのか。真面目に考えてみようと思って、必要そうなことは、無駄だと思えることでも一心不乱にやってみた。興味ない人ともたくさん話したし、本もたくさん読んだ。理解できない本は悔しいから全部写経した。もう自分にはそこしか時間をかけることがなかったので。タイパは非常に悪かったと思うけども、意味はとてもあったと思う。そして、自分はコンサルという仕事に就いた。

紆余曲折を経たからこそ

今の仕事は、自分の存在意義をリアルに確かめやすい仕事だと思うし、特別な資格とか特技があるわけじゃない自分にとっては、おそらく合っているのだと思っている。タイパとか意識せずに行動した時間があったからこそ、これだ!という仕事に巡り会えたし、その過程の中で、自分はこの仕事が出来るはずという強い自尊心も持てたのだと思う。最短ルートでここまで来ていたら、決して見えなかった光景を見てきた自負というか、“犬の道”かもしれないけども、とりあえず這いつくばってでも辿り着いたぞという自信というか。

この業界は、昔は、性悪なエリート先輩もチラホラいたのもので、自分とは違う“異物”に対して拒否反応があるせいか、色々嫌味を言われたこともあったが、「いや、絶対お前よりコンサルは出来るようになるわ」という自信はずっとあった。職業に対する姿勢が違うから。ブランドとかお金目的とか、そういう感覚でコンサルやっているわけじゃないんで、こっちは。自分の存在意義をかけてるんだぞっていう。それが上から見ると生意気さになっていたかもしれないけど、(今のところ)業界で生き残れている理由でもあると思う。

比率ではなく、絶対値を追う気概を持つ

そんな実体験があるので、若い人にはあんまりタイパタイパ言ってほしくないなぁと思う。「田中さんも、年取って説教臭くなったねぇ」なんて言われたらそれまでだけども、「大事なのは比率なんですか?」っていうこと。時間をいくらかけたって、どれだけ自分が前進できたのかの方が重要でしょって思う。比率ばっかり気にしているようじゃ遠くまで行けないわけで、若いうちに、今しか出来ない時間の使い方を味わうのも良いのではないかなと。無駄だと思っていても、それが実は“無駄”じゃないってことなんて、いくらでもあるので。

私は、運が良い人間と思うものの、今に至るまでにたくさん回り道もしたので、馬鹿だったなぁ、もっと楽に生きられたかな…と思うようなこともたくさんあり。でも、実はそれが今の自分を形成する要素だったりするもので、「人生に無駄はない」ってのは本当その通りだなと思っている。みんなキレイに最短ルートを通ってきたってつまらないじゃない。積み重ねてきた無駄があるから、個性なんじゃないかなと。大怪我も無駄、興味ない人との話も無駄、本の写経も無駄、全部無駄。でも、その無駄があって今があるんです。あぁ幸せじゃん。

MAVIS PARTNERS プリンシパル 田中大貴

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