2.アソシエイト
印刷甲子園と医師から学んだ責任ある発言
2025-08-01

誇張も悲観も無く、ただ淡々と事実を述べる姿勢
今年も夏の甲子園の季節がやってきた。かつては地元チームの試合は欠かさず観るようにしていたものの、最近ではめっきり観なくなってしまったが、実は今年、歳の離れた従兄弟が甲子園出場を決めたこともあり、再び自分の中で甲子園への興味が湧いてきている(ちなみに、自分の知り合いが甲子園に出る機会なんてめったに無いので、これを期に甲子園初観戦をする予定)。
甲子園といえば、今年の春のセンバツで、昨春の優勝校と初戦で当たることになった明徳義塾の監督がこう言ったらしい「昨年度の優勝チームなら余計にやりやすいわ、うちは。負けてもともと。強い相手と当たるなら、2回戦より1回戦の方がいい」。
こんな状況のとき、仲間を鼓舞するために、「大丈夫、練習通りにやれば勝てる」とか「自分たちの武器を出せれば十分戦える」というようなことを言う監督もいるだろうが、個人的には、この明徳義塾の監督の姿勢・発言はとてもポジティブに映った。誇張も悲観も交えず、ただ淡々と自分たちが劣ることを認める姿勢は、選手側にも「強豪相手でもやるべきことは同じ」という冷静な受け止めを促し、本番でのパフォーマンスをより良くするのではないかと思った。
「よく見せよう」という姿勢は危険
我々コンサルタントは、普段仕事をしていて、「これって調べられますかね?」とか「この期間内に検討終えられそうですかね?」といった質問をよく受ける。そんなときに、相手を安心させたい・期待してもらいたいという気持ちから、つい後先のことを考えずに「できます!」と答えてしまいそうなことが、自分自身はよくある。
しかし、こういった発言は、その場は乗り切れても、後で自分の首を締めることになり、結果として信用を失うことに繋がりかねない。
上述の明徳義塾の監督の話と少し似た部分があると思うが、我々の仕事においても、「誇張も悲観も無く、ただ淡々と事実を述べる」という姿勢は、常に心がけないといけないと思っている。
責任ある発言をするためには
「誇張も悲観も無く、ただ淡々と事実を述べる」というのは、責任感のある人ほど出来ていることなのではないかと思う。では、そういった責任ある発言をする際に、何が重要になるのか。自分なりに考えてみると、以下の3つがあるのではと思っている。
1.事実と解釈の分離:発言の中で、事実は何で、そこからの自分の解釈は何なのか?を明確にしながら話す
2.リスクの事前共有:「もしかしたらこういう理由で出来ないかも・失敗するかも」ということをあらかじめ伝える
3.次のアクションを示唆:事実やそこからの解釈だけでなく、じゃあどうする?まで提示
3.は「事実を述べる」という文脈からは少し離れるかもしれないが、やはり人というのは自分事化されないと真剣に話を聞けない・考えられないので、いま話している内容が、後々の自分の行動にどう影響を及ぼすのか?まで伝えることは、責任を持って発言し、それを相手に理解してもらうという意味では重要なんだろうなと思っている。
逆に3.が無くて、「あとは自分で考えてね」というのは、(立場や状況にも寄るだろうが)相手を突き放すことにもなりかねず、危険なコミュニケーションとも言える。
プロとして責任ある発言を心がけたい
上述の3つのポイントを整理しているとき、最近お世話になった、某国立大学病院の医師の話しぶりを思い出した。
その医師は、准教授でありながら、非常に丁寧に我々患者にも接してくれて、恐らく院内での信頼も厚いのだろうということを、話を聞いていて感じていたが、やはり発言をする際には上述の3つのポイントを押さえていたように思う。
症状や検査結果について伝えるときには、必ず「◯◯だと”思います”」と自分の意見であることを強調していたし、「△△というリスクが無いわけではない」と無駄に不安を煽ること無く適切にリスクを伝えていたし、「多くの患者さんはこういう選択をしますが、他にもこういう選択肢もあります、どうしますか?」と患者側に考えさせるような問いも適宜織り交ぜていた。
医師は患者の命を預かるプロとして、責任ある発言を心がけているのだろう。我々コンサルタントも、クライアントの未来に影響を及ぼす存在であることを自覚し、常に席になる発言を心がけたいと思う。
MAVIS PARTNERS アソシエイト 井田倫宏