3.マネージャー
印刷イタリアで感じた現場の権限に見る文化の違い
2024-10-04
先日スイスとイタリアに行ってきました
先日、ワーケーションという体で、家族全員引き連れてスイスとイタリアに行った。欧州は日本と時差が7時間で、ちょうど日本の朝が欧州の夜中なので、子供と一緒に夜早く寝て、朝(というか夜中)に起きて昼過ぎくらいまで仕事をして午後から観光して夜また早く寝る。という生活をしていた。
移動中、イタリアで違法タクシーにボッタくられたり、タクシーから降りたとたんに勝手に荷物を運ばれて「荷物を運んだのだから金くれ」とせびられたりトラブルがたくさんあったのだが何とか仕事には大きな支障をきたすことはなかった(と思いたい。いろいろとご迷惑をおかけしたMAVISのPJメンバーの皆様にはこの場でもお礼をしたい)
いろいろとトラブルに巻き込まれる中で感じたのは、海外は良くも悪くも現場の判断に委ねている部分が多いということだ。
イタリアの車掌の権限が強い!
イタリアミラノからスイスへ特急で移動するために、ミラノ中央駅にタクシーで向かっていた時のこと。デモの影響で駅周辺の道路がことごとく封鎖されていた。タクシーの運転手に「よくあることなのか?」と聞いたが「今日がたまたまだ」とのこと。何とも運が悪く、結局乗る予定の電車に乗り遅れた。仕方なく2時間後の特急チケットを取りなおそうと窓口に相談したところ「今日のスイス行きの特急は全て予約で埋まっている。当然2時間後の電車には乗れない」とのこと。途方に暮れつつ、ローカル線を乗り継ぐプランや車で移動するプランなど、別のルートを探していたのだが、なかなか見つからなかった。そんなこんな駅で右往左往していると、あっという間に2時間経った。ダメもとで、席が埋まっていると聞いていた特急電車の車掌に事情を話すと「指定席は空いてないけどレストラン車両の席使っていいよ」とのこと。地獄の中の仏とはこのことかと喜んだと同時に、車掌がどこに相談するでもなく、自分の権限で即断したことに驚いた。
話はこれだけで終わらない。特急電車に乗った後にも乗り換えがあったのだが、乗換駅でも電車に乗り遅れてしまった。2度目の途方に暮れていると、Informationと書かれた蛍光色のジャージを着たおじさんが「どこに行きたいんだ?」と聞いてきた。「実はXXに行きたかったんだが、乗り遅れた」と話したところ、「それなら、こっちに乗ってここで乗り換えろ、チケットはそのままで大丈夫だ」と言われた。本当なのか半信半疑でいたところ、実はこのおじさんも次の電車の車掌だった。このおじさんは社内でも色々と助言をしてくれた。またしても、車掌に救われ、何とかスイスにつくことができた。
更に、別の時にはこんなこともあった。ミラノ市内を走るトラム(日本でいう路面電車)乗って移動するときの話だ。トラムの乗り場を発見した時に、ちょうど乗ろうとしていたトラムが出発するところだった、というかドアが閉まって出発した。ダメもとで「乗りたい!」という合図を送ると、何と乗り場から出発していたのに停まって手招きして早く乗れ!と合図を返してドアを開けてくれた。無事乗れたのだが、日本だったらあり得ない運転手の判断だなとびっくりした。
一連の出来事を通じて感じたこと
この一連の出来事を通じて感じたのは、海外では(少なくともイタリアでは)現場が判断してよいことの幅が広そうだ、ということだ。
既に出発してしまった特急電車のチケットしか持っていない人を次の特急のレストラン席に座らせるということを即断出来る権限を日本の車掌は持っているのだろうか?違う電車のチケットを持っている人を別の電車に乗り継がせて目的地まで送り届ける車掌がいるのだろうか?既に出発しているトラムを停めて遅れてきた乗客を乗せる判断を迷わず出来る運転手がいるのだろうか?これらすべて私にとってはありがたかったが、彼らは会社として正しい判断をしたと言えるのだろうか?
きっと、上記の判断をしたことで、車両が混雑したり、無賃乗車のスキを与えてしまったり、トラムが遅延してしまったりと、全体としては悪影響を及ぼすこともあるだろう。つまり、イタリアの車掌や運転手の判断は全て、“個別最適”なのだと思う。
一方で、日本では現場判断による個別最適を追求するよりも、現場判断によって全体に与える影響を考慮する傾向にあるように感じる。つまり、“全体最適”を追求しているのではないか。
イタリア人がそこまで深く考えているとは思えないが、今まで私が当たり前に優先すべきだと考えていた“全体最適”も、文化の違いによっては理解されなさそうだと身をもって感じた次第である。
MAVIS PARTNERS マネージャー 渡邊悠太