知り合いのプチ炎上
先日、人生でそう多くは経験しないであろう「知り合いのプチ炎上」を目にした。テレビで取り上げられるような大きなものではなく、SNS上でのいわゆる“ぼや”レベル。それでも、顔を知っている人が炎上しているのを見るのは、見ず知らずの芸能人の炎上とは違う感覚があった。疎遠とはいえ、かつて一緒にお酒を飲んだこともある相手だ。人当たりも良く、場を明るくするタイプだったが、炎上を知った瞬間、「まさか」という驚きよりも、「ああ、ついにそうなってしまったか」という妙な納得感が湧いてきた。そして、自分がその状況に違和感を覚えなかったことに、逆に不思議さを覚えた。
自分が何か嫌なことをされたわけでも、関係性も深いわけではなく、裏で何か悪いことしていたのか、なども全く分からないが、とにかくその人が炎上したことに違和感がなかったのだ。(ここでは、炎上の件についての是非を表明したいわけではない(かつ真相を何も知らない私が口にすることは適切ではない)ため、その方についての詳細や炎上内容については触れないこととする。あくまで、私個人が感じ取ったこととして記載する。)
最初に抱く違和感
振り返ると、その人に対する最初の印象に、確かに小さな違和感が混ざっていた。人当たりの良さの裏側に、相手を自分の思う方向に運ぼうとする空気感があったり、人との関わり方がどこか粗く、配慮が足りないと感じる場面があったり。深入りしなければ気にならない程度ではあるものの、無意識に距離を取りながら接していた自覚がある。その印象は関わりが続いても変わらなかった。
後出しじゃんけんみたいな形に見えるかもしれないが、一度本人にも、「こういうところあるよね、それ、気を付けた方がいいと思う。」と指摘したこともあった。しかし、伝え方が悪かったのか、本人にはあまり響かなかったようで、そのまま疎遠になってしまった。今回の件を見て、あのとき感じた“最初の違和感”が、実は何かの兆しだったのかもしれないと、つい考えてしまった。
この出来事を通じて改めて思ったのは、最初に抱く違和感は、仕事でも強力なサインになり得るということだ。人に対しても、資料に対しても、プロジェクトの進め方に対しても、ふと心に引っかかるポイントは、たいてい後から振り返ると筋が通っている。問題は、その違和感を“違和感のまま放置してしまう”ところにある。
違和感を違和感で終わらせない
例えば、自分で資料を作るとき。時間や余裕がないと、どこかしら引っかかりつつも、「まぁ一旦これで相談に出してみるか」と内部での議論の場に出してしまうこともある。だが、その違和感はほぼ確実に上長も見抜かれ、そのまま跳ね返される。指摘を受けて初めて、自分が曖昧にした部分を明確にできることも多いため、言語化できていなかった違和感をクリアにしてもらえることは進歩なのだが、本当は、違和感の正体を自分の中で掘り下げ、言語化し、納得のいく形にしてからアウトプットすべきである。そのほうが建設的な議論になり、結果として仕事の質が上がるはずである。
人に対しても、物に対しても、違和感を覚えるセンサー自体は働いていそうであることは良いことであると言えそうだが、その後の言語化や軌道修正の精度がまだ足りないことをこの一件で改めて自覚した。違和感をきちんと扱えるようになれば、仕事でも人間関係でも、より良い関係や成果につながるはずであり、意識して取り組んでいきたいとつくづく思った。もちろん、自分の感覚を妄信することは危険であるため、社内で上長からフィードバックを受けつつ、スタッフの意見を聞きつつ、クライアントの最善を考え答えを出していきたい。
皆様は、ご自身が抱いた違和感をどのように解消しているだろうか。
MAVIS PARTNERS アナリスト 神尾唯








